「強くなりたい」とずっと思っていました。
強さ。とは?
もちろん力のことではなくて、しなやさかとか、心の面の方が強くて。
でも、よく分からないままでした。
外国を自転車で旅すれば強くなれそうだなと思って、旅に出たりもしたけど、結局自分が求めていた強さは得られぬまま。
結果的には強くなっているのかもしれないけれど、そもそも「強さ」の正体がわからないから、強くなれてはいないような気がして。
そして、ふと強さについて少し分かった様な気がしたので記事に書いてみたいと思います。
参考になれば幸いです。
「強さ」とは「順応力」
「こんな社会で、もう生きていたくない」
というフレーズをテレビで耳にしました。
自殺した女の子の言葉でした。
この社会以外で生きていく以外、他にどのような手段があるというのだろう?とふと思ってしまいました。
若さとはそういったものなのかもしれませんが、自分の置かれている状況や環境に文句を言っていたって仕方ありません。
自分の置かれている環境や状況に、合わせて順応していく力こそ、本当の意味の「強さ」なのかもしれないとふと感じた瞬間でした。
弱かった自分
間違いなく弱い自分が弱い時代を過ごしていました。
「誰も分かってくれない。」
「俺はこんなに頑張っているのに」
という気持ちを抱えていたと思います。
順応しようという気持ちより、自分がこうありたいから、こうしよう。と思っていました。
「周りが俺を理解しない。」
そんな無闇な感情で弱さを振りかざしていたのかもしれません。
引きこもりや自殺は弱さの究極か
社会がいやだとか、人と会うのが怖い。
というのは、現代社会では珍しいことではない。
しかし、そんなことを言っていて何が変わるというのか?
自分の形を社会に順応させて、社会の荒波を渡っていくことが大切なのではないかと思う。
少しでも強くなるために、順応力を鍛えていくことが、大切な姿勢ではないだろうか。
引きこもりや自殺は逃げでしかないと私は思う。
SNSからは逃げていいんじゃないかな?
SNS上での心ない言葉で自殺。
これこそ、現代を象徴するものだと思う。
しかし、SNSのアカウントを消せば見なくて良いものではないかと思う。
SNSで非常に順応力を発揮して、素敵な投稿を続ける人がいる。
一方で、私はSNSが上手ではない。
上手くはまらない。SNS上で順応できないのです。
一生懸命順応できるように、SNSの勉強をすることがいいのか?
答えはNOだと思う。
必要以上にSNSでは頑張らなくても良いと私は言いたいです。
変わらないものを変えようと努力したとき
人を、社会を変えようと努力したこともありました。
結果は、そんなに変わるものではありません。
もともと、人は不得意の部分を変えようするわけですから、苦手な教科の点数を上げようとするようなものです。
私は学生時代、国語が苦手でした。
「国語の点数を上げるには本を読むと良いよ!」
と教えてもらい、数冊の本を読みました。
結果、国語の点数は上がったでしょうか?
そんなに簡単に上がるわけないですよね。
苦手な分野をやらせるよりも、得意な分野で付き合っていく方がいい。
変わりにくいものを変える努力をすることの成果の小ささを知りました。
逆に「弱さ」とは?
私がこれまで書いてきたのは「強さ」とは、「社会に順応していくこと」ということです。
ただ、社会に順応することができないから困っている人が多いわけです。
そんな社会に順応できない人に送る言葉は、「鈍感さ」が「弱さ」だと思います。
周囲の状況を感じて、周囲に馴染む力を「順応力」というと定義します。
逆に周囲の状況が感じられず、自分のペースへ持ち込んでしまい周囲が引いてしまったり、怒らせてしまうことが「弱さ」と定義したい。
つまり「鈍感」であるが故に、周囲に順応することができないのです。
という事で、「弱さ」とは「鈍感」であると考えています。
自分のことばかり考えていると、人は鈍感に陥ってしまいがちです。
自分の事ばかり考えるから人は鈍感になってしまうのかもしれません。
擬態(ギタイ)する虫たち
擬態(ギタイ)…動物が攻撃や自衛のために周囲の物や植物・動物にからだの色や形を似せること。
自分の身を守るために、弱い虫や動物は、周囲に体を同調させ、目立たなくする手段を取ったりします。
人間もそうしようとは言いませんが、目立つ人は攻撃を受けやすく、あまり目立たない自己主張の少ない人は攻撃を受けにくいところはあります。
まさに「順応力」が表す「強さ」と感じます。
強さ=攻撃力と思いがちですが、強さ=鉄壁の守りだったりするのかもしれません。
敵を知り、己を知る
兵法で昔から言われ続けている言葉ですが、これば現代を生きる我々にも大切な戦略です。
ここで言う的とは、私たちが生きる社会だと定義します。
社会を構成しているのは「人」ですね。
要するに「人間関係」になっていくわけです。
人間関係がうまくいかなくて、弱いのです。
人間についての取扱説明書はありませんが、私が思う人間への理解について書いてみます。
①人は上手に扱うことが大切
人間扱いというと、不謹慎な言葉に聞こえるかもしれませんが、道具を扱うように他者もまた扱いながら生きているのです。
実際手にとって扱う物ではないので、人を扱うという言葉はしっくりこないかもしれませんが、人の扱い方は大切です。
のどか乾いている時に冷たい水をもらったら、嬉しいに決まってますし、水をくれた人を好きになります。
自分の話を、一生懸命に聞いてくれる人を人は好きになる物です。
逆に、話の途中で話を遮られたり、喉が渇いているときに水を横取りされれば、敵とみなされかねませんね。
相手がどんなことを望んでいるか?その望んでいることをやってあげるのが、一番人扱いとして喜ばれる行為ですね。
②人は感情の生き物である。
正論を並べて、人を説得したことがあります。
結果的には正論で人間が変わることはありません。
あの時は、ああするしかなかった。と。
自分を正当化して、正論を並べてきた私を悪にしてしまいます。
人の感情を害することが、悪行なのです。
正論を盾に人を攻撃することはしない方がいいでしょう。
どういう言葉を使うか、いつ伝えるか、というのは感情を害さないような対応を考えることは大切なことだと思います。
③話は聞いてやること
どんなに忙しくても、大切な人の話は聞いてやらなければいけません。
どうでもいいような話をしてきても、やはり手を止めて聞いてやる。
その話の中に、話し手のニーズが隠れているかもしれません。
そのニーズを受け取ることができれば、より深い人間関係に入っていけるかもしれません。
まとめ
話が蛇行してしまい、取り留めもない記事になってしまいましたが、ここまで読んでくださってありがとうございました。
少々、反社会的な事を書いたりもしたかと思いますが、逃げていても仕方ないじゃないですか。
自分の弱さを認めて、周囲に順応していく力が必要な時代になっていると思います。
コロナ禍で、苦しい時を過ごしているかたもいるかと思います。
しかし、そんな今を生き抜く力が本当の強さだろうと思います。
人生は変化の連続です。
その激動の人生を、順応力を発揮して強く生き抜くことが強い人と呼べるのだろうと私は思います。
「強さとは何か?」と考えている悩める若者の、一助になれば幸いです。