「世界一周してくるよ!」
と言って自転車で世界旅行に出発して、すでに2年以上が経過していた。
この2年、自転車を毎日毎日漕ぎ続けてきたかと言えばそうでもなくて、
オーストラリアに1年いたときには9ヶ月も定住して仕事をした。
ブラジルにいた半年は弓場農場にほぼ滞在して農業と人にもまれながら生活していた。
2年のうち14カ月は、ろくに自転車を漕いではいないのだ。
とは言っても1万キロ以上は漕いだと思うが。
そして、タイムリミットの3年が迫りお金の底が尽きかけていることから、旅の終わりを迎える決意をしていた。
ニューヨーク。
自由と夢があふれる場所(のイメージ)
僕は最後にニューヨークに行くことにした。
アメリカのビザ
アメリカに入国する事は難しくなっている。
アメリカはこれまでもこれからも、テロの標的になる国であることから仕方はないだろう。
ESTAというビザ手続きを事前に済ませ、アメリカへ向かう飛行機に乗った。
ビザや国境を越える手続きに関しては、たくさんの国境を越えてきたが、毎回いろいろあって慣れることはないように思う。
ニューヨークに到着
ニューヨークには2つの空港がある。
その1つのジョンFケネディ国際空港に到着した。
空港に到着してまずする事は、梱包した自転車を組み直す事である。
もう何度自転車をバラして組み直したかわからない。
飛行機で移動する度に自転車屋さんにダンボールをもらいに行って、自転車をバラして梱包し、手荷物として預けて飛行機に乗った。
みんなから質問をよくされるのは、自転車を飛行機に乗せる事と追加料金について。
自転車を飛行機に乗せた場合の料金は0円なのだ。
スーツケースを預けるのと同じ感じなので0円。
ということはスーツケースと同様に積み込みや荷下ろしの際にガンガン投げられるので、相当大切に梱包したほうがいい。
話がそれたが、もう慣れっこになっている自転車の組み立てを終えて、宿へ向かって出発した。
ニューヨークの初印象
ニューヨークといえば世界一の街。
キラキラ輝いていて、人々で賑わい、洗練された人たちが颯爽と歩いているのだろうと思っていた。
が、実際は空港の周辺はかなり閑散としていて、けっこうな田舎だった。
人も歩いてない。
ニューヨークも中心街を外れればこんな感じなのかと思った。
ニューヨークの滞在場所
ニューヨークからロサンゼルスへアメリカ横断!
などと血気盛んな状態ではもはやなく、お金が無いので大人しく、芸術の街ニューヨークでアーティストとしての芸を磨く気持ちでいた。
ニューヨークに2ヶ月の滞在予定で、リーズナブルに滞在するにはルームシェアが一番いいと情報を得ていた。
ルームシェアなら1ヶ月8万円ほどで滞在可能で、僕は2ヶ月の滞在予定で16万円。
残金は30万円程になっていたので部屋代だけでごっそり半分無くなった。
あと、日本に帰る航空チケットが約10万。
と計算すれば2ヶ月を4万円で過ごさなければならないことになる。
そんなことは不可能なので日銭を稼ぐ必要があるわけだ。
ニューヨークで似顔絵コーナー
ニューヨークは芸術の街。
人も多いから日々似顔絵コーナーで稼いでいけば2ヶ月の滞在は可能だろうと考えていた。
しかし、その思惑は初日にして脆くも崩れ去った。
ニューヨークの中心にある有名な公園、セントラルパーク。
毎日多くの人が訪れる場所で、似顔絵コーナーをするにももってこいの場所だ。
そこに似顔絵コーナーの道具をバッグに詰め込んで出発した。
似顔絵コーナーをできそうな場所を探していると、
先輩の似顔絵師がうじゃうじゃ…
軽く10人は越えていた。似顔絵師。
しかもみんな超ウメェ…
僕の趣味から毛が生えているレベルとはワケが違う。
ここで並べるわけにはいかない…
埋もれて終わりや…
そう、大都市でこれまで似顔絵コーナーやって良かった事はないのだ。
自分よりも上手な人がいて、大都市では顧客獲得の競争に負けてしまうのだ。
しかも、12月のニューヨークは寒くて仕方がなく、うまい似顔絵師の商売も繁盛しておらず、似顔絵コーナーで日銭を稼ぐ作戦は脆くも崩れ去ったのだった。
ニューヨークの冬
もう、ニューヨークで似顔絵コーナーをやることを諦め、お金も無いので何もできない日々が続いていた。
お金というのは、精神を安定させる効果があるというのを言っている人がいた。
その言葉がとても良くわかる状況で、1ヶ月の生活費2万円の僕の今の生活は美術館に行くことも、はばかられた。
「もう全部終わりにして帰ろうかな。」
と思うくらい、
帰らないけど。
ニューヨークの冬は寒い。
緯度は日本で言うと青森と同程度というから、その寒さは相当なもの。
その寒さが、お金のない僕の心をより寒くするのだった。
だけど、この状況を望んでいたところもあって、旅に出る前にいろんな人の旅行記を読んできたが、みんなお金が無くても頑張ってその状況を乗り越えてきていた。
俺だって負けるもんかと思う。
そんな状況で、身動きが取れないまま数日が過ぎた。
母からのメール
この時代だから海外にいようが日本にいようが普通にケータイで連絡を取れてしまう。
良いのか悪いのか分からないが、母からメールが届いた。
「お父さんから支援もらって振り込んだよ」
えっ?!
この状況でどう乗り越えるか、自分を試す良い機会だったのに?!
ほぼ空になっていた僕の銀行口座が、ニューヨークに入った時と同じくらいのお金が振り込まれていた。
「勝手なことするなよ!」
「俺は俺の力で旅を続けるんだ!」
と、強く言ってやりたい気持ちをぐっと抑え、ありがたく使わせてもらうことに。
返済は出世払いということで。
親の力で、この後のニューヨークで美術館を巡り、日本に帰ってからのことなどいろいろ考える時間をもらったのだった。