ブラジル・弓場農場 2014

ブラジル、サンパウロ州の内陸部に、弓場農場というコミュニティがある。

戦前移民の日系人は、3世の人たちが20〜30代。

日系人の3世にもなれば、日本語を話せる人は少なくなっているのが現状である。

「俺たちはブラジル人」

日系人の彼らは、僕ら日本人と同じ顔をしながらも、心からブラジル人として生きている。

そんな中、日本語を主言語として生活するコミュニティがブラジルに存在している。

それが、弓場農場。

広い敷地に、家族単位で戸建の家に住みながら、食事は食堂で全員揃って食べる。

全員で70名程の人々が生活を共にし、それぞれがコミュニティ運営するための役割を持って生活している。

旅行者の受け入れ

弓場農場は旅行者を受け入れてくれて、労働の対価として、寝食を提供してくれる。

僕はこのコミュニティに半年間もお世話になって、様々な体験をさせていただいた。

この感謝の気持ちは、一生忘れることはできない。

滞在費は0円。

最長7年程滞在した旅行者がいたというから驚きだ。

誰でも弓場農場へ行って滞在することができる。

これは、弓場農場の創設者 弓場勇さんの、訪問者を大切にするという考え方が今でも生き生きと続いている。

弓場農場の農業

弓場農場はほぼ100%自給自足の食生活を営んでいる。

食堂の裏には、自分たちで食べるための野菜畑が広がっている。

その他にも、オクラやマンゴー、グァバ畑など様々な作物を作り、スーパーへの卸なども行なっており、収入を得ている。

その収入で、村人の生活を保っている。

僕ら旅行者が、弓場農場の中でお金を触ることはまず無い。

お金が無くても、イキイキと生きられる。

そこには、年功序列はあれど、人に上下の関係は無く、みんなが家族のような存在である。

お金のストレスが無いというのは、こんなにも良いものか。

普段の日本の生活は、お金の事を常に気にしながら生活しているのだと気付かされた。

野菜畑の管理

僕は運良く、自分たちで食べるための野菜を作る畑のお手伝いをさせてもらえることになった。

(通常、旅行者は卸す野菜の収穫やパック詰めなどの仕事をする。)

今、農業をしているのも、ここでの経験が生きている。

農業が好きで、体力もある僕は、野菜畑のみなさんから可愛がっていただいた。

「君みたいに、野菜づくりに興味のある人が来てくれると助かるんだ。」

と言っていただいたのは嬉しかった。

日々の仕事は草取りが主。

あと、種まきや植え替え、棚づくりなど。

育てた野菜は、

きゅうり、キャベツ、ニンジン、カブ、ブロッコリー、アスパラガス、ゴボウ、オクラ、ネギ、落花生、などなど

日本の夏に育てる野菜は、ほぼ育てた。

野菜畑の管理だけやっていれば仕事はOKなので、綺麗な畑が広がっていた。

(今の僕の畑は草だらけ…)

収穫と種まきの日々。

種を蒔かないと収穫できないので。

野球

日系移民の地域には、野球の文化が残っている。

野球経験者の僕は、ここでも重宝がられ、

「ずっといて〜、ずっといて〜」

とラブコールを日々送られてきた。

ブラジルと言えば、有名なのはサッカー。

ブラジル代表の試合などは、みんな仕事を放ったらかしてテレビの前で応援する。

しかし、弓場農場の男達は野球を愛する漢だった。

「アリアンサ大会までは絶対に残ってくれ!」

強い眼差しで言われたので、数ヶ月先の野球の大会まで、弓場農場にお世話になることになった。

硬式ボールに木製バットで野球をする。

これは、日本のプロ野球と同じ道具で、アマチュアの僕は初めての木製バットデビューだった。

そして、試合に出場させてもらったが、いきなり

「ボギーッ!」

と木製バットを真っ二つに折ってしまった。

木製バットは金属バットでは気にしなくてもいい、木目を気にして打たなければならない。

それを慣れない僕は分からなかったのだ。

「バット、なかなか買えないんだよな。」

ブラジルでマイナーな野球は、道具を揃えるのも一苦労で、ヘルメットやバット、ボールやグローブもみんなボロボロになっても使い続けていた。

弓場人のリンタロウは、弓場農場に残る数少ない若者の1人で、25歳のナイスガイだ。

リンタロウのグローブもボロボロだった。

「俺は野球を始めた時からこのグローブを使い続けているんだ。」

日本人の野球をする人が、果たして1つのグローブを何年使っているだろう?

道具の手に入らない環境で、野球を続けるリンタロウの姿に、道具を大事にしようと思った瞬間だった。

折ったバットの借りは、将来バットを送ると約束しているが、未だにそれは果たせていない。

いつか、必ず。

練習後のシュラスコ

野球の練習を毎週日曜日にアリアンサ野球部でやっていた。

練習は2時間くらい。

その後に必ず、炭をおこしてブラジル版のバーベキューである、シュラスコをする。

牛肉を大きめの一口サイズに切って、串刺しにしたものを炭火で焼く。

味は、ニンニクと塩胡椒で味付け。

腹が減っているので、美味しく食べた。

アルコールも入って2時間くらい、ワイワイガヤガヤと楽しい時間を過ごす。

しかし、全部ブラジル語なので、僕は話についていけず、腹が膨れた後は脇で眠っていた。

練習が目的か、シュラスコが目的か?

いずれにせよ、ラテンのノリの楽しい文化を感じていた。

スライディングしない

ブラジルの野球は、日本のようにプロ野球も無ければ、実業団野球も無い。

野球をするのは、1つのリーグしかなく、初心者からプロ級の選手が一緒にプレーしている。

「ビューッ!」

140km/h出てるやろ〜!

というようなピッチャーが現れたり、キャッチボールもままならないような選手もいる。

そして、気づいたのはブラジル人はスライディングが上手じゃない。

だから、ベースにはスライディングせずに立ったまま止まる。

これは、野球経験がある人はわかると思うが、かなり危険なプレーだ。

日本の野球は、幼い頃にスライディングの練習をする。

雨の日に水たまりで練習をさせられたものだ。

雨の日に水たまりで練習をすると、恐怖心無く思い切り練習できる。

ヘッドスライディングも足からのスライディングも思い切り練習した。

しかし、ブラジルの弓場農場のある地域は、雨がほとんど降らない。

雨が降らないから水たまりで練習できないのか?

ベース周辺のプレーはスライディングが基本。

子供達にスライディング、教えたらよかったかなと今になって思う。

アリアンサ大会が終わって

野球の試合に、野球人は全力で取り組む。

野球を愛する人は、本当に野球が大好きだ。

高校野球の夏の大会が終わった後、破れたチームは全てが終わったかのように泣き崩れる。

野球が終わっても、明日はまた来るのに、明日が来ないような気分になる。

アリアンサ大会に、弓場農場チームの一員として全力で取り組んだ。

敗れたときは、全てが終わったかの様な気分になった。

さすがに泣き崩れたりはしなかったが、一生懸命一緒にプレーしたチームを離れることに寂しさもあった。

そして、半年間もお世話になった弓場農場を出ることは、寂しさが強かった。

出発の時

また、自転車の日々が始まる。

そして、お金を自分で支払う必要が出てくる。

お金を使い、お金の心配をする生活が恐怖でもあった。

お金がない時代に生まれたかったなぁと思った。

一通り挨拶をして、寝床を綺麗に整えた後、出発しようとしたら、調理場のお母さん方が、おにぎりを持たせてくれた。

何よりも嬉しいお土産だった。

出発後、1時間くらいで、そのおにぎりを食べ終わってしまった。

もうちょっとしたら、日本に帰らないとな。

この時既に、旅行資金は底をつきかけていた。

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